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旧町名で呼び合う下町の商人

  20, 2020 23:18
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この画像はある花屋の看板ネコのもの。昭和の時代の古い佇まいの花屋の画像が欲しかったんだけどね、適当なのがなかったので、ネコの可愛さで選んじゃった。

さて、今回の記事は、久し振りに、浅草っぽく下町っぽいよもやまばなしです。

母方の一族は、そのうち数軒が東京の下町で花屋を経営してた。母方の祖父母は我が家の隣町である清川一丁目に店を持っていた。近隣の親戚の店とか、組合の仲間たちの店を呼称するとき、苗字や屋号は一切使わず、店がある町名で呼び合うんだよ。それも旧町名でね。

なんか時代劇を見ているようで、ガキの頃から「粋」に感じてた。

祖父母の店がある場所の旧町名は「石浜町(いしはまちょう)」。他の仲間たちからはそのとおりの名前で呼ばれてた。日本堤一丁目にあった親戚の店は「田中町(たなかまち)」、千束一丁目にあった親戚の店は「千束町(せんぞくまち)」。日本堤二丁目にあった知人の店は「浅草町(あさくさまち)」って呼ばれてた。

最後の浅草町、現在の浅草一丁目から七丁目までとは違う場所で、三ノ輪に近いニコニコ通り商店街の周辺が、旧・浅草町だった。

「夕方、田中町に行ってくる。」とか「昨夜から浅草町が風邪で寝込んでるそうだ。」とか「千束町はリヤカーを修理に出した。」みたいに使う。

台東区内の小中学校では、一部の例外を除いて旧町名がそのまま学校名になってた。上記の花屋があった町には、石浜小学校、田中小学校、千束小学校があった。

時代劇「桃太郎侍」の舞台となった待乳山聖天(まつちやましょうてん)。小高い「待乳山」に聖天宮があったため、その周辺の町名は「聖天町(しょうでんちょう)」であり、都電の停留所も同名。小学校は待乳山小学校という名称だった。

浅草のみならず、下谷エリアも同様で、時代劇に出てくるような町名が学校名になってる。「伝七捕物帳」の主題歌「♪明かり瞬く~ 黒門町に~」の黒門町は、上野の松坂屋の向かい周辺であり、黒門小学校もある。

旧町名で呼び合ってた個人商店も時代とともに店を閉め、少子化で小中学校も統廃合され、どんどん旧町名を使う機会が少なくなってきちゃってね。悲しい限りだよ。
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2 Comments

Mon
2020.09.21
21:08

nyoshi55  

黒門町など

花屋の看板猫ちゃん、売り物を食べちゃったりしないのかと思いましたが(以前ウチで飼っていた猫はテーブルに上ってカスミ草をパクパク食べていたっけ)、猫草らしき鉢植えがちゃんと置いてありますね。あっ、猫草も売り物か(笑)。

江戸八百八町、味があるだけでなく意味もある、旧町名がどんどん姿を消していくのは寂しい限りですね。
神田あたりでも町名をめぐって色々もめているという話をニュースで見た記憶があります。

よよよい、よよよい、よよよいよい、あ、めでてえな、ヘイッ!の黒門町が上野松坂屋の近くだったとは!
学生時代、ひと夏上野松坂屋でバイトしたことがあります。一緒に仕事をしていたベテランのマネキンさんがバリバリ下町のおばちゃんで、何かと可愛がってもらいました。

私の下町へのあこがれってあの頃に見た景色や、吸い込んだ空気から生まれているような気がします。

2020/09/21 (Mon) 21:08 | REPLY |   
Mon
2020.09.21
21:45

ジョニーあんこば  

nyoshi55さんへ

今日、彼岸の墓参りで、浅草の菩提寺に行ってきました。今回の記事に出てきた三ノ輪、浅草町、田中町などをクルマで通ってきました。30歳まで住んでた浅草の家はとっくに取り壊されており、現在は「まいばすけっと」になっちゃってます。

ネコが本当に好きなんですね。ガキの頃、隣のオヤジの実家で「ちいこ」というメスのシャムネコを飼っていて、いい相棒でした。

2020/09/21 (Mon) 21:45 | REPLY |   

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